お見知り置きを!

私の“好き”、褒められたもんじゃないと思うので。ただの言い訳を書きました。

私は皆様のように立派なことをしていないから、どうか許してください。

私のこの感じ嫌いな人は相当嫌いだと思うのですが、そういう方へ許しを乞いたい。

根本的な価値観についてってなかなかツイートすることは無いけど知って欲しくはあるので。

 

 

 

 

 

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私の“好き”は一応傾向や流れがあるのだが、端から見たら片っ端から手をつけているように思えるだろう。

 

自分の好みがあってそれをする人を好きになるという至って普通の経緯だが、何分好みが広いものでどうしても数が多くなってしまう。

 

好みが広いのはなんでも肯定から入り否定しないようにしたいという私の信念によるものである。

この信念は悪いことではないと思うが、ことファン活動に関しては悪いことなのだと思う。

 

若手お笑い界隈だと応援し支えるのが良いことで当たり前とされているのでは、と考えているからだ。

 

推し(応援し支えている)→好きその次に好き→・・・という段階があるとする。

 

これでいう推しの数が多いことを世間一般ではDDと呼ぶ。あまり良しとされない。

DDだと応援し支えることが不可能に等しいというのが理由なのではないかと思う。

 

 

しかし、笑いという感情が名前に付いたジャンル※では、面白いと感じ笑った人のことを少なからず好きになってしまうものだと思う。

従って皆様もおそらく推しの他に《ライブが被ると嬉しい好きな芸人さん》がいるはずだ。

 

だが皆様をDDと認識する方はいないだろう。

それは、《ライブが被ると嬉しい芸人さん》が推し次の好きに位置するからだと思う。

 

 

 

逆に私はDDと認識されているのだろう。

 

私は己の性格が誰かを応援することに向いていないと悟ってからその段階を全部とっぱらっている。 

 

そのため、皆様が言う「好きな芸人」は推しだが私の言う「好きな芸人」はただ自分の好みのお笑いをしている人を括っているだけなのである。

 

コイツ私が「好きな芸人」へしているのと同じ熱量をその数の「好きな芸人」に向けられるのかよ

というのが私への不快感の大元だと思うが、その「好きな芸人」の意味が違う。

 

それをわかって頂けたらきっと私なんてもう視界に入らないのではないだろうか。

そもそも同じ土俵にいないのである。

 

 

 

 

私は、どう考えても応援し支えるファンが正しいと思っている。

自分がそれを出来ない事に引け目を感じているし、逆にそれをできる皆様のことを尊敬している。

 

出来ているかは分からないが、そういうタイプのファンの方のお邪魔をしないようにしたいとは思っている。

なのでその代わりに、私のこの“好き”の仕方を許して欲しい。

 

 

 

自分が楽しいからライブへ行くし、 ライブを減らした方が自分の生活が豊かになると思うからライブを減らしたい。

でもライブが楽しいから減らせない。

これをずっとやらせて欲しい。

どうかよろしくお願い致します。

 

 

 

 

最後に:そもそも推しという呼び方が微妙だったり、応援し支えるの別に良しとされてなかったりするのかな。まっじでわからん。なんもわからん。ただ許しを乞いたいだけの文なので、許してくれ。むしろこれで許しが遠くなったら笑っちゃう。悲しすぎ。

 

※大島さんのこれ!

「お笑い芸人」は偉いし、これからもどんどん偉くなるという確信|大島育宙(XXCLUB)|note